ともみ@ピクニック

マヨちゃん

7月19日(水)

もぞもぞと、今日も片付け。

(片付けというより、ひたすら
捨てる作業の段階である、今は)

階段登ったところのクローゼット
姉のOL時代の余所行きの服
をはじめ、もぞもぞと。

         *

なんか、「頑張れ、自分」と激励する
気持ちももちろんあるのだけれど

「無理するなよ。ほどほどのところで
休め。休息だ、休息だぞー」という
内なる声も聞こえるのだよな。

先の長い作業、(数日集中したところで
おわる話ではない。ある程度のところまで
行くだけでも何ケ月かかるか・・・)

体力と気力をもたせるには
「やる気」温存と並行して、「休む」ことが
大切なのだと、いうことだろう。

         *

夕飯は、サバの水煮(レトルト)と
昼の残りの味噌汁(豆腐、わかめ)と
夏野菜を使ったものを数皿用意。

特筆すべきは、数ケ月ぶりに
マヨちゃんを使ったこと。

新品キューピーさんを開封して

野菜を適宜刻んだものに
柚子甘味噌と、えごまパウダーと
米酢と、マヨちゃんを一緒に和えたのさ。

ああー、マヨちゃん、まずくはなかったわ。

今宵は、「カラスに狙われていた」と
母が一斉収穫してきたエダマメも食卓に
並びましたとさ。

(去年は、一部収穫し、食べ、また収穫し・・・
というペースだったので、今年もそうするつもり
だったのだけど・・・。カラスか~。カラスめ~)

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夏の食卓

7月18日(火)の四

自家野菜を育てている家の
あるある話だが、実りの時期は
集中してどっと実るので
毎日まいにち食べられない量の
野菜と格闘することになるのよね。

おまけに、地方のなかでもさらに
田舎部にいると、たいがいの家庭では
自家消費の野菜を育てているし
もしくは親しい親戚のおすすわけがある
などで、「お裾分け」を喜んでくれそうな
家も少ない。。。

食糧自給率には計算されない、わが国の
水面下の野菜生産量は相当あると思うのだが
( ↑ まあ、それも十年後には激減であろう)
そこで、ひっそり廃棄されている野菜の量も
はんぱないと思う。


うちも、収穫野菜の廃棄を少しでも減らすため
主食を抜いて、毎日、大量の夏野菜を食べておる。

ちなみに、今夜のごはんはコレ

△豆腐バーグ(鶏挽肉・木綿豆腐・しいたけ。
個別に丸めず、お好み焼きのようにして
一枚で焼く)

△野菜の蒸し焼き
(ピーマンまるごと焼いて、じゅわっと
旨みをなかにためる。もちろん種も食す。
エリンギは手で裂いて、油をしみやすく。
ニンニクは皮をむいただけ、ごろごろと)

△蒸し茄子
(皮をむいて、まるごと、レンジでチン。
塩味の調味はせず、かつおぶしのみ。
フレンチ白茄子がとろとろ~、口のなかでとろける)

△ゴーヤ
(薄切りにして、塩もみしただけ。
うちではワタも種も食べる)

△酢の物
(きゅうりと、もずく)

△トマト
(中玉を切っただけ)

△砂肝煮
(過日の残り。煮汁がけっこうあったので
汁椀の代わりに。砂肝・コンニャク・生姜)

あれこれ、工夫の余地はあると思いつつ
いざ材料を手にすると、シンプルな調理に
走ってしまう。まあ、暑くて調理するのも
面倒だしな。

よいのじゃ、手抜き、バンザイ。

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深呼吸を忘れずに

7月18日(火)の三

積年の片付け問題に、なぜ
最近手を付けているかといえば

お盆に、大切な、少し気の張る
お客さまがいらっしゃることになり

家中を披露するわけではないのだが
せっかくなので、これを機に
片付けを頑張ろう! と思ったのだ。

まあ、それはそれでいいのだが

かねてより懸案の
ボロボロのカーテンの新調とか
障子の張りなおしとか

畠も庭も草ぼーぼーだし
庭木の剪定の続きもあるし

片付け以外にも
けっこうやることはあって

そろそろ優先順位を決めて
行動しなければ、な。

(プチパニックになりそうな
落ち着かない毎日だけど
こういうときこそ深呼吸である)

おまけに、こういうときに限って
家電のご機嫌が悪くなったりも
していて、あああ。

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モノと暮らし

昔のヒトは、モノを大切にするとか
モノを捨てられない、と言われがち

と先に書いたが

モノを「大切にする」のと「捨てられない」のは
まったく意味の違う話なのだよね。

           *

ホイホイとモノを貰ったり買ったりし
所有物を増やし

モノの存在自体をすぐに忘れたり

捨てる罪悪感を回避するために
空気のように所有し続けたり

ってのは

呼吸のしにくい家屋へGOだわな。

           *

なんでも捨てればいい、という話では
もちろんない。

ホイホイとモノを増やし、ポイポイ捨てる
生活スタイルというのも、それはそれで
問題があるとは思う。

ただ、わたしは「目に映った」とき
不快感をもたらさない程度に
片付いた家で寝起きしたいだけ。

           *

生きている限り、モノを一切増やさず
暮らすなんて不可能だろう。

どこで線をひくか

なのだなー。

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実家の母の「捨てられない」力

7月18日(火)の二

それにしても
我が母の「捨てられない」力の
底力を見せ付けられる。

(正しくは、整理もできないし
捨てられないし、の二重パターン)

先日は、「開かずの食器棚」をのぞいたら
徳利類のところに、アメニティのシャンプーハットが
置いてあったり・・・と、混沌とした
ごちゃごちゃ力に驚き

割り箸や紙袋などなどが
あっちこっちに保管されている
のは、わりと高齢者宅でありがち
なことであろうけど

うちの場合は

古いポットや炊飯器などの電化製品が
数台ずつあるかと思えば、随分くたびれた
アイロン台や、まな板も、それぞれ
何枚発見しただろう・・・

という、ジャンルを超えた
これまでの半世紀以上の生活用品が
すべてとってあるのでは?と 疑ってしまう
ほどの、保管力ともいえる。

(こういうのも「保管」というのか? ほぼ百%
使わないだろうが、単に捨てられなかった
ものの所有は、なんと呼ぶのだ?)

高度経済成長期に専業主婦をしていた
母の蓄積したもの、(買ったものはもちろん
未使用の引き出物はお店を開けるほどだし
景品でもらった類のものも山のよう)で
ごった返している。

こわいよー、こわいよー。

           *

階段横のエリアの奥にある押入れであるが
そこは洞穴のようになって、横に広がりがあって
斜めっている収納スペースがあることを

今日、初めて知った、わたしだった。

で、そこには

ぎーーーーーしりと、雑然としたものが
隙間なく(隙間なくですよ、ほとんど隙間なく)
埋没されているのであった。

(片付けのプロが「高齢者はモノを『仕舞う』と
イコール『無い』ことになるから、収納はしないほうがいい
と言っていたが、この埋没されたモノモノは
母が高齢となる以前からの存在であろう)

こわいよー、こわいよー。

きのう、「うちの不用品は
都会の狭小住宅の一軒分ほどの
体積があるのではないか」と思ったのだが

小物類だけでも、人力で捨てるのは
ムリかもと思い始めた。

           *

昔のヒトは、モノを大切にするとか
モノを捨てられない、と言われがち。

で、うちの母は戦前生まれだが
モノの希少な時代に生まれ育ち
壮年期~中年期、高度経済成長に
遭遇し、それなりに買い物を楽しみ

「モノは増えるが、捨てられない」

というパターンに、どハマリだったんだな。

(おまけに生来の整理整頓&掃除できない
という性分が重なり、そのまま年月を重ね
老人となった住まいよ!)

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さよなら作業

7月18日(火)の一

今日も、粛々と片付け。

あっちも、こっちもやりかけ
なのであるが

(完璧にやろうとしたら、いつまで経っても
手がつけられない。100を目指すのじゃなく
まずは10とか20でもいいから手をつけて
次の機会に30とか40まで進めて、またその次に
えいっと60とか、いや41でもいいから進めて・・・
というふうに、気の向いたときに、気の向いた部分を
攻めていくことにした)

(もちろん、最終的に100に行ければすばらしい。
でも、仮にそこに至らなくても、0のままよりは
0.1でも、0.01でも~、の心境だ)

今日も、あっちこっち手をつける。

二階の、甥っ子のオチビだったときの服とか
(なんと紙おむつまで発見!)

先日、歩けるスペースを作った
階段下のエリアの奥にある、押入れを開けたら

亡父のスーツやコートがあって

「はっ」と思ったものの、いつかは誰かが
さよならしなきゃいけないのだからと

感傷的にならないように、パキパキパキと
さよなら作業。

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